12月23日から25日にかけて天狗党西上勢823名(耕雲斎からの手紙では776名)が収容された三ヶ寺です。
敦賀は太平洋戦争時の大空襲で80%が消失していますので、これらのお寺も建て直されたものかと思います。
「本勝寺」
武田耕雲斎・山国兵部・田丸稲之衛門・武田彦衛門・藤田小四郎等 387名。
お墓は収容中に亡くなった方のもの。
「刑死者は352または353名と言われていますが、353番目の方です」と教えて頂きました。(一般には353番目には横浜で磔刑にされた小林幸八が言われています)
あまりの人数の多さに、敦賀でも不明となった事柄もあるのかもしれません。
「本妙寺」
武田魁介等346名。
「長遠寺」
山形半六等 90名。
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