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武田耕雲斎等墓
文面が『幕府』から『慶喜』へと直されています。 「武田耕雲斎等が降伏したのは、慶喜だからこそ」だと。 所縁の地からの記念樹が植えられています。 木々が青々と繁った中に。 天狗党西上勢1000名を率いた武田耕雲斎の像。
hitachinokuni
2020年3月2日読了時間: 1分
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松原神社
松原神社 碑文。 水戸藩主 徳川慶篤公の寄進だというが、天狗党に対しても同情的な人物には聞いていないので不思議に思います。文面が知りたい。 牢屋として使われていた鰊蔵16棟の内の1棟です。 また水戸市回天神社にも1棟が移築されて「回天館」となっています。...
hitachinokuni
2020年3月2日読了時間: 1分
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永覚寺
永覚寺のお白州。 太平洋戦争時 空襲被害に遭い、建物はその当時のものではありませんが、間違いなくその場所であります。 ここで天狗党西上勢一同はむしろの上に列座し、非情な宣告をうけたのでした。 この塀は辛うじて、当時のまま残されていると教えて頂きました。
hitachinokuni
2020年3月2日読了時間: 1分
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投降後
12月24日、水戸浪士の収容も見届ける事無く、一橋慶喜は海津の本陣を引き上げました。『浪士』とはいえ、総人数823名のうち水戸藩士はわずか35名で、後はほぼ農民なのだそうです。水戸藩内郷校で水戸学、ひいては烈公・徳川斉昭の教えをうけ、時代を憂い、実直に行動に移した彼らが、烈...
hitachinokuni
2020年2月27日読了時間: 4分
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本勝寺・本妙寺・長遠寺
12月23日から25日にかけて天狗党西上勢823名(耕雲斎からの手紙では776名)が収容された三ヶ寺です。 敦賀は太平洋戦争時の大空襲で80%が消失していますので、これらのお寺も建て直されたものかと思います。 「本勝寺」...
hitachinokuni
2019年12月25日読了時間: 1分
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武田耕雲斎等の降伏
耕雲斎の一行が新保駅に到着した時は、冬季の長い行軍であって、隊士は全く疲れ切っていました。そうして耕雲斎等にも全く当初から戦意があったわけではなく、唯だその微衷を天朝に達するのが悲願で(あ)りましたので、同月十一日葉原駅に出陣した金沢藩兵に対してその趣意を述べ、通行の許可を...
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2019年12月25日読了時間: 2分
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新保宿
山に囲まれていますが、貴重な平地。坂道沿いに集落があります。 「武田耕雲斎 本陣跡」 西上勢を心に留めて下さっている様子に、目頭が熱くなります。 綺麗にして下さっています。外にはお掃除をしている方がいらっしゃいました。 整然と置かれたノート。気のせいか、律儀な武田耕雲斎の面...
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2019年10月9日読了時間: 1分
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水戸浪士の遺した物
◎木本村(12月6日泊)から東俣村(12月8日泊)にかけて、村人達から歓待(と言って良いと思う)を受け、天狗党西上勢は御礼等 様々な物を残しています。一部だと思いますが書きつけます。 「武田耕雲斎遺留日本地図」木本村 鯖江藩大庄屋役杉本家...
hitachinokuni
2019年9月30日読了時間: 3分
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善徳寺(谷口)
元治元年 12月7日 大本村(本陣 山本家) 12月8日 東俣村(本陣 飯田家) ~ 谷口村 大野・福井・鯖江・勝山・府中、各藩が布陣。 西上勢は先鋒隊が布陣を発見すると、戦闘を避ける為 杉峠を越えて谷口村に出る。 神社の名前を失念してしまいましたが、浪士達はこの道を通って...
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2019年9月5日読了時間: 2分
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越前大野藩 大野城
天狗党 西上勢を迎え撃ったというより、何とか弱らせて別の方向へ向かってくれないかと苦心した大野藩。積雪地帯の冬季に村々を焼き、領民の住処と生活の基盤を奪ってしまいました。大野市博物館には、「西谷村の焼け残った土蔵の戸」が所蔵されています。...
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2019年9月4日読了時間: 2分
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ご無沙汰しております。
ご無沙汰しております。 あちらこちら所縁の地へ出掛けたものの、どうまとめたものかと思案ばかりで手を出しかねておりました。 しかし、見たままを書いてみるのが一番良いのではないかと、重い腰を上げる事にしました。 史料等と照らし合わせてご覧頂ければと思います。...
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2019年9月3日読了時間: 1分
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ひたちなか市パネル展 終了
ひたちなか市役所 那珂湊支所展示室にて、5月18日~28日まで開催していました パネル展「天狗党 長谷川庄七の生涯」は無事に終了致しました。 今回は、 展示会「夤賓閣と幕末の那珂湊」と同時開催とさせて頂きました。主催をされました...
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2019年5月30日読了時間: 2分
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那珂湊展示会「夤賓閣と幕末の那珂湊」同時開催 天狗党長谷川庄七の生涯 のお知らせ
那珂湊展示会 「夤賓閣と幕末の那珂湊」 同時開催 天狗党長谷川庄七の生涯 開催日: 5月18日㈯〜5月28日㈫ 場所: ひたちなか市役所那珂湊支所 主催 夤賓閣復元研究会 共催 常陸國の幕末史実を考える会 後援...
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2019年5月7日読了時間: 1分
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元治甲子之変殉難碑(笠間市・養福寺)
「養福寺」 笠間市大田町 宍戸藩主松平頼徳公と家臣62名の「殉難碑」 明治5年(1872)3月、撰文と書 宍戸藩校 脩徳館教授・川口翊宸(よくしん) 「・・頼徳は、争乱を鎮める責任を果たせなかったので、一旦江戸に帰って報告しようと那珂湊を離れましたが、その情報を掴んだ幕府側...
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2018年6月11日読了時間: 1分
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旧宍戸城表門
「旧宍戸城表門」 笠間市土師 県道30号線沿い 宍戸藩陣屋の表門です。 長屋門形式の陣屋表門。正面の冠木には、松平家の家紋? 宍戸藩の家紋で良く見掛けるのは、葵の御紋で外枠が八角形のもの。 検索しましたら、八角形のものは「大炊葵」「角三ツ葉葵」という名称と共に、...
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2018年5月30日読了時間: 1分
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宍戸城址土塁
「宍戸城址土塁」笠間市平町192-1 宍戸藩陣屋の土塁の一部が残っています。 陣屋址と書いてある地図等もありますが、宍戸城土塁 上に「末廣稲荷神社」が建てられています。 宍戸藩は、慶長7年(1602年)秋田実季が入り五万石で立藩→正保2年(1645年)秋田氏は三春に転封、幕...
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2018年5月28日読了時間: 1分
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『宗門人別改帳』に見る「男女混合出生順続柄」
※『宗門人別改帳』とは江戸時代(の制度で、現在)の戸籍原簿にあたり、定期的に村・町毎に作られていたもの。 男女を別にせず、出生順に1,2,3・・と続柄がつけられている。 この様式は少なくとも、茨城県立歴史館で閲覧可能な近世後期の『宗門人別改帳』でも確認出来る。...
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2018年5月9日読了時間: 1分
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「常陸志 第1編 (鹿島郡之部) 」
長谷川庄七の新たな史料が見つかりました。 多少の違いはありますが、塙泉嶺著『鹿島郡郷土史』とほぼ同じ内容です。 画像転載には、文化庁長官の裁定が必要になりますので、 リンクのご紹介だけ致します。 「常陸志 第1編 (鹿島郡之部) 」 小沼総蔵 編...
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2018年4月27日読了時間: 1分
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『文久三年 御上洛 御警衛御用御沙汰書帳 国々浪士人性名書』
『文久三年 御上洛 御警衛御用御沙汰書帳 国々浪士人性名書』 ( 金塚豊春 氏所蔵) ※格別なご厚意により掲載させて頂いております。 拡散はリンクのみ、画像使用・掲載の場合は金塚様のご許可が必要になります。 ご了解の程、よろしくお願い申し上げます。
hitachinokuni
2018年4月25日読了時間: 1分
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慶応四年の芹澤本家当主は誰か
※芹澤家菩提寺の過去帳を根拠に、芹澤鴨の幼名は「玄太」だと言われていました。過去帳の画像を確認すると、慶応四年に亡くなった女性の戒名の下には、「芹澤玄太妻」ではなく、「芹澤兵太妻」と書かれていました。それでは「芹澤兵太」とはどういう人物なのか調査したところ、『東下村波崎名主...
hitachinokuni
2018年4月23日読了時間: 1分
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