hitachinokuni2018年4月27日読了時間: 1分「常陸志 第1編 (鹿島郡之部) 」長谷川庄七の新たな史料が見つかりました。多少の違いはありますが、塙泉嶺著『鹿島郡郷土史』とほぼ同じ内容です。 画像転載には、文化庁長官の裁定が必要になりますので、リンクのご紹介だけ致します。 「常陸志 第1編 (鹿島郡之部) 」 小沼総蔵 編 明治26年6月、弘文社 発行 国立国会図書館デジタルコレクションより ・「常陸志 第1編 (鹿島郡之部) 」(表紙) ・「常陸志 第1編 (鹿島郡之部) 」(長谷川荘七) ・「常陸志 第1編 (鹿島郡之部) 」(奥付)
長谷川庄七の新たな史料が見つかりました。多少の違いはありますが、塙泉嶺著『鹿島郡郷土史』とほぼ同じ内容です。 画像転載には、文化庁長官の裁定が必要になりますので、リンクのご紹介だけ致します。 「常陸志 第1編 (鹿島郡之部) 」 小沼総蔵 編 明治26年6月、弘文社 発行 国立国会図書館デジタルコレクションより ・「常陸志 第1編 (鹿島郡之部) 」(表紙) ・「常陸志 第1編 (鹿島郡之部) 」(長谷川荘七) ・「常陸志 第1編 (鹿島郡之部) 」(奥付)
塙泉嶺著『鹿島郡郷土史』『鹿島郡郷土史』塙泉嶺著( 「政教新聞社」1927) 沼前村之部 故長谷川 壯 七 氏は駒場人也、東茨城郡芹澤村芹澤外記の第四子也嘉永三年出でて長谷川四郎工門の家を嗣ぐ由來同家は駒場の豪族たり、文久三年徳川將軍入朝の折壯 七命を受け西丸を警衛す 所謂 新徴組なるもの是也壯...
小宮山楓軒『楓軒紀談(八)』小宮山楓軒(1764~1840)の書き残した『楓軒紀談(八)』の芹澤外記に関する記述 (国立国会図書館所蔵) 文政八年乙酉 (中略) 外記ハ男女ノ子九人アリ男子多治見(家督孫四人)半五郎(分家孫三人)門弥(府中税所氏養子孫三人中一人夭死)重五郎(浜野茂衛門孫養子ニ約)...
小宮山楓軒の記述による長谷川庄七の生年・父である芹澤外記とは誰の事か※長谷川庄七は「那珂湊戦争」諸生党が陣とする夤賓閣(湊御殿)を攻め落とす際に亡くなりました。日付は史料によりそれぞれですが、元治元年(1864)の事でした。史料に書かれている享年による生年は以下の通り。 墓碑「享年四十一」・・文政7年(1824)...