top of page
hitachinokuni

小宮山楓軒『楓軒紀談(八)』


小宮山楓軒(1764~1840)の書き残した『楓軒紀談(八)』の芹澤外記に関する記述

(国立国会図書館所蔵)

文政八年乙酉

(中略)

外記ハ男女ノ子九人アリ男子多治見(家督孫四人)半五郎(分家孫三人)門弥(府中税所氏養子孫三人中一人夭死)重五郎(浜野茂衛門孫養子ニ約)

女子ハ麻生家老畑四郎左衛門妻(孫四人中一人夭死)秋葉友次郎妻(孫四人)市川村萱場氏兵衛門妻(孫二人)芹沢村孫衛門妻(孫三人)

末一人未嫁一腹九人皆成長夭死アル事ナシ孫廿一人アリメツラシキ多子孫ナリ


閲覧数:47回0件のコメント

最新記事

すべて表示

「常陸志 第1編 (鹿島郡之部) 」

長谷川庄七の新たな史料が見つかりました。 多少の違いはありますが、塙泉嶺著『鹿島郡郷土史』とほぼ同じ内容です。 画像転載には、文化庁長官の裁定が必要になりますので、 リンクのご紹介だけ致します。 「常陸志 第1編 (鹿島郡之部) 」 小沼総蔵 編...

塙泉嶺著『鹿島郡郷土史』

『鹿島郡郷土史』塙泉嶺著( 「政教新聞社」1927) 沼前村之部 故長谷川 壯 七 氏は駒場人也、東茨城郡芹澤村芹澤外記の第四子也嘉永三年出でて長谷川四郎工門の家を嗣ぐ由來同家は駒場の豪族たり、文久三年徳川將軍入朝の折壯 七命を受け西丸を警衛す 所謂 新徴組なるもの是也壯...

bottom of page