hitachinokuni2017年11月28日3 分あとがきここからは、素人の勝手な推測です。 美幹氏は何故、「芹澤家譜」の貞幹の子供達だけ「男女別出生続柄」という明治4年以降の戸籍法により書いたのでしょう。 「医者として治療の為、諸生派にも天狗派にも関わった家柄ですから、少しの事が命取りになるかもしれない」...
hitachinokuni2017年11月24日2 分「長谷川庄七の真実」長谷川庄七 ○生年には文政7年、9年、10年の記述がある。小宮山楓軒「楓軒紀談」から文政7年が有力。 ○那珂湊で戦死。元治元年8月15日、16日、18日の記述がある。亡骸は小川(郷校)に送られ、天聖寺に埋葬された後、長谷川家の墓地に改葬されたと考えられる。...
hitachinokuni2017年11月23日4 分「長谷川庄七の謎②」長谷川庄七の謎は、江戸時代と明治時代の芹沢村近辺の戸籍についての謎でもあります。 そして「芹澤家譜」についての謎々。 ○江戸時代の戸籍 「宗門人別改帳」 江戸時代の中期に宗門人別改で宗門改帳と人別改帳が統合された民衆調査のための台帳。現在で言う戸籍原簿や租税台帳である。名義...
hitachinokuni2017年11月18日3 分「長谷川庄七の謎①」長谷川庄七という方をご存知でしょうか。 天狗党が、筑波山挙兵前に定宿としていたのは常陸府中藩(現石岡市)にあった紀州屋ですが、そこに話をつけ藤田小四郎等を連れて来たのが長谷川庄七なのだそうです。故山口誠太郎博士によると「鹿島郡駒場の里正で、紀州屋の姻戚関係にあった」とされて...