「養福寺」
笠間市大田町
宍戸藩主松平頼徳公と家臣62名の「殉難碑」
明治5年(1872)3月、撰文と書 宍戸藩校 脩徳館教授・川口翊宸(よくしん)
「・・頼徳は、争乱を鎮める責任を果たせなかったので、一旦江戸に帰って報告しようと那珂湊を離れましたが、その情報を掴んだ幕府側に西郷地(さいごうち)(小美玉市)のあたりで捕らえられ、水戸に連行されました。幕府は頼徳を「賊魁(ぞくかい)」として処断し、宍戸藩を取りつぶして藩主の頼徳に切腹を命じました。・・」(笠間市HP 南 秀利 氏解説より)
頼徳公が切腹をした10月5日に、慰霊祭が執り行われています。
(2018年度は、10月2日午前10時よりとのご連絡がありました。)
※碑文・翻刻のご協力を頂きました。ありがとうございました。