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芹沢鴨の出自はどこか


※展示会「新選組芹澤鴨出自の謎ー天狗党長谷川庄七の真実ー」パネルより。

※芹澤鴨の出生地は、(芹澤家分家出生説)(芹澤家本家出生説)(北茨城出生説)の三つの説があります。

※下記の史料には「水府浪人」と記述されています。郷士が浪人となる可能性は低い事から、(郷士か藩士か、の二択であるならば)元水戸藩士であろうと推測されます。

※生年について芹澤家本家出世説では「延方郷校に行った後に下村家に養子に行き、弘化2年に息子が生まれる」とされている事から文政9年出生説が有力とされていますが、貞幹四男(四子)長谷川庄七が文政7年出生の可能性が高い事から、芹澤鴨が貞幹三男だとしても計算が合いません。

※この他「分家説」の根拠として、島田魁の『英名録』に書かれた「芹澤鴨」の添書き「又左江門子」があります。

※展示した際の解説文のみup致します。許可頂いて展示した史料ばかりですので、写真また全文等の掲載は出来かねます事、ご了解下さい。(可能な史料については、後日、篆刻等を掲載致します)

※「石河明善日記」(30冊)については、水戸市「明治150年」関連施策 として平成30年度の翻刻刊行 が予定されています。

鵜殿鳩翁『浪士姓名簿』

            (東京大学法学部研究室図書室所蔵)

芹澤鴨について「水府浪人」の記述があり、水戸藩士である芹澤家分家の出身ではないかとする「芹澤家分家出生説」の根拠の一つとされている。

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『文久三年 御上洛 御警衛御用御沙汰書帳 国々浪士人性名書』

           ( 金塚豊春 氏所蔵)

芹澤鴨について「水府浪人」の記述があり、水戸藩士である芹澤家分家の出身ではないかとする「芹澤家分家出生説」の根拠の一つとされている。

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『明善先生日記(石河明善日記)』

                  (水戸市立博物館所蔵)

芹澤鴨について「次郎八悴」の記述があり、弟橘媛神社神官 下村祐(斎)の実子ではないかとする「北茨城出生説」の根拠とされている。

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『芹澤氏家譜』

                  (個人所蔵)

芹澤本家蔵『芹澤家譜 ホ本』には三男の名が書かれていない。個人蔵『平氏芹澤家譜寫』にも同様である。「書かれていない芹澤貞幹三男は芹澤鴨である」として「芹澤家本家出生説」の根拠の一つとされている。


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