2.那珂湊へ 8月12日「願入寺の戦い」 市川三左衛門他、水戸城兵(400~500名)は那珂川を下り、華蔵院と大洗を押さえ、願入寺を占拠。涸沼川を越えて来た大発勢と、那珂川を挟んで大砲を打ち合い戦う。大発勢の勝利。水戸城兵は城へ。 8月14日 藤田小四郎率いる筑波勢、大発勢に合流。 8月16、17日 大発勢・筑波勢は那珂湊へ。華蔵院(諸生派本陣)を激しく襲撃。市川勢 圧されて町内へ。和田砲台、反射炉も大発勢・筑波勢より攻め立てられ、劣勢となった市川勢は日和山 夤賓閣に火を放つ。華蔵院も焼失し、市内の大半に延焼。松平頼徳 磯浜より、郷校「敬業館」へ本陣を移す。夤賓閣にて、長谷川庄七と飯田忠四郎の2名が戦死。19日、小川 天聖寺に送られ埋葬される。 「神勢館の戦い」 松平頼徳・大発勢は、筑波勢を置いて水戸城入城の交渉をする為那珂川を上り細谷村 神勢館(「五町矢場」)へ。2名の使者、城へ。 市川勢これを拒絶し、神勢館に砲撃。双方に死者あり、決着つかず(8月22~23日)。25日、幕府から田沼意尊率いる追討軍が笠間へ到着、水戸へ千余名の軍勢を派遣し、諸生党側へつく。29日、味方兵士の疲労が激しい事、且つ入城の見通しも立たない為、頼徳はひとまず那珂湊へ退却。 8月末 小川館より田村稲之衛門率いる筑波勢が、平磯にて藤田小四郎隊と合流(約800名) 9月1日 小川館より潮来勢(林五郎三郎他、約200名) 平磯へ。 幕府追討軍(39藩約13,000名) 那珂湊を包囲。幕府軍艦 黒龍丸 出動。 ・田沼意尊(おきたか)総括 水戸弘道館へ。 ・東北諸藩 常陸太田へ。 ・関東諸藩 水戸へ。常澄 長福寺に拠点。 ・旗本(3000名) 鉾田へ。
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