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長谷川庄七ハ芹澤外記ノ四男(四子)也


※もとはと言えば、「芹澤貞幹三男」について調査していたものが、あちらこちらから新発見されたのは四男・長谷川庄七についての史料でした。「芹澤外記の子供たちは『三男一女 』とあるのに、四男(四子)とはどういう事なのだろうか?」と、調べていらっしゃる皆さんは本当に頭を悩ませていました。その後、海老澤正孝氏「壬申戸籍・宗門人別改帳・芹沢家譜の続柄」により 四男(四子)=三男(四子)と解決され、「芹澤貞幹三男」は芹沢鴨ではなく「長谷川庄七」である事が解ったのです。

※展示した際の解説文のみup致します。

※※失礼しました。脱字がありました。(「君諱健久通稱庄七・・」

塙泉嶺著『鹿島郡郷土史』

「故長谷川 壯 七氏は駒場人也、東茨城郡芹澤村芹澤外記の第四子也」

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小宮山楓軒『楓軒紀談(八)』の芹澤外記に関する記述

(国立国会図書館所蔵)

文政八年乙酉

「外記ハ男女ノ子九人アリ男子多治見(家督孫四人)」

※楓軒の書いた外記は清幹、多治見は跡取り息子の貞幹の事で、清幹には内孫が四人いたという内容。文政八年の年頭に記されたので、四番目の子は文政七年までの生まれとなる。

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昭和大礼贈位書類第三冊 「故長谷川庄七」(内務省二)

(国立公文書館所蔵)

長谷川庄七事蹟

「長谷川庄七ハ常陸國行方郡芹沢村芹澤外記ノ四男、鹿島郡駒場村郷士長谷川四郎右衛門ノ嗣子トナル、父ノ後ヲ襲キテ里正トナリ」

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『長谷川庄七 墓碑文』

「君諱健久通稱庄七本姓芹澤氏考諱外記君其四子也」        


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